Interview 私としごと

東映で、味噌や醤油を外国に売れたらなんて。

東映株式会社
佐藤 弘崇(事業推進部 文化事業室)

おそらく、日本において“東映”の名前を知らない人はほとんどいないだろう。古くは『仁義なき戦い』から今日の『ワンピース』に至るまで、年代を問わずに愛されるコンテンツを生み出し続けてきた、この会社の果たしてきた役割は計り知れない。そんななかにおいて、事業推進部に所属する佐藤弘崇さんは、なんと味噌や醤油を海外でヒットさせたいという。果たしてその真意は?

プロフィール

佐藤 弘崇

1985年生まれ。早稲田大学文学部卒業後、東映株式会社に入社。京都撮影所に配属され、テレビドラマや映画の制作に携わる。その後、2013年に事業推進部に異動となり、現在は文化事業室主任としてイベントや展覧会の企画・制作を担当している。

インタビュー・テキスト:村上広大 撮影:飯本 貴子(2014/7/9)

田舎過ぎる地元から中学で飛び出し、親元を離れて上京。

―現在は東映に勤務し、大学時代は演劇映像コースに在学していたそうですが、昔から映画がお好きだったんですか?

佐藤:そうですね。映画を本格的に観るようになったのは中学生ぐらいです。実は僕、生まれは福島なんですが、あまりにも田舎過ぎて住み続けるのが嫌になって。中学に進学するタイミングで上京させてもらったんですよ。早々に親元を離れ、アパートで一人暮らしをすることになったので、水を得た魚のようにいろんなところを遊び回るようになりました(笑)。そこで映画にもハマり、とりあえずビデオ屋さんのオススメみたいなのを片っ端から観てましたね。『フェイス・オフ』とか『トレインスポッティング』が流行っていた頃でした。

―佐藤さんの部屋にみんなで集まって映画を観たりしていたんですか?

佐藤 弘崇

佐藤:映画好きな友達が周りにいなかったので、それはあんまりなかったですね。映画は完全に個人の趣味で。学校の友達とはバンドをやっていて、そっちでコミュニケーションを取っていました。10代にありがちなことだと思うんですけど、極力オタクっぽくなりたくなかったんです。ただでさえ「映画が好きです」って文化系感が半端ないじゃないですか。しかも僕、本も好きだったので、どんどん文化系の人っぽくなってしまうのが嫌だなって。だから、あえてマニアックな感じにはならないようにしていました。

—高校卒業後は福島に戻って1年間浪人生活をなさったそうですね。

佐藤:中学・高校の6年間は本当に遊び呆けていたので、このまま東京で浪人をしたら何年かかっても大学生になれないんじゃないかと思って(笑)。親にも申し訳ない気持ちがありましたし、実家で浪人することにしました。でも、とにかく早く東京に帰りたくて、友達を作らない、映画を観ない、CDを買わないというのを1年間実践して、ひたすら勉強の日々。だから僕、その1年間に公開された映画のことをびっくりするくらい知らないんですよ。完全に空白の1年間でした(笑)。

フリーランスかと思いきや、東映へ入社。その経緯は!?

―1年間の浪人生活の後は早稲田大学へ進学し、映画サークルに入ったそうですね。

佐藤:映画研究会というサークルに入りました。早稲田って映画サークルがたくさんあるんですが、とりあえず入学式の日に偶然発見して、「映画作れますか?」って聞いたら「作れます」っていうので「じゃあ、入ります」って、迷うこともなく(笑)。でも、1年生のときに1本監督をやっただけで、あとは撮影のスケジュールを組んだり、メイクの真似事をしたりとお手伝いばかりしていましたね。

―なぜ監督をやらなかったんですか?

佐藤:実は僕、今まで監督になりたいって思ったことは一度もなくて、どちらかというとプロデューサーになりたかったんです。それはプロデューサーという仕事が何かすら知らなかった高校生のときから漠然と思っていたんですけど、監督を一度経験したことで、改めて違うなと感じて。そういう人ってあんまりいないみたいなんですけどね。そんなこんなで映画制作の手伝いばかりしていたら、2年生のときにサークルのOBから連絡がきて、「森田芳光監督の『椿三十郎』を撮ってるんだけど、ボランティアスタッフとして参加してくれない?」って誘われて。それ以降、いくつかの商業映画でお手伝いをさせてもらう機会が続きました。有名な女優さんがいるような場も多かったんですが、カメラの前側には興味がなかったんですね(笑)。面白いと思うのはカメラの後ろ側、作る側だったんです。そういう現場を見ながら、将来はフリーで制作をやっていこうと考えるようになりました。

―制作のお仕事というのは、具体的にどんなことを?

佐藤:ロケハンから実際の現場の段取りまでと、撮影現場のあらゆる調整役です。学生時代はその大変さがわからないでやっていましたね。学生だったからこそ、プレッシャーを感じることもなく気楽にできたのかもしれません。本当に「楽しい!」って感じでしたね。でも、実際は学生でもできることしかお願いされていなかったんだと思います。僕も会社に入って制作に携わるようになり、学生のインターンにお手伝いを頼むこともあるのですが、タダで働いているのにきつかったらかわいそうだなと思って、できるかぎり楽しいと思える仕事を振るようにしていましたから。

―最初はフリーで活動しようと思っていたのが、就職に変わったのはどうしてだったんですか?

佐藤 弘崇

佐藤:制作現場にいる先輩スタッフには「フリーで制作やりたいです」って言い続けていたんですけれど、「せっかく大学に入ったんだから就職した方がいいんじゃない?」って言われて。「じゃあ、東映と東宝を受けて、両方ダメだったら面倒見てください!」って宣言したのがエントリー締切の前日のことでした(笑)。就職活動を必死に頑張っている方には本当に失礼な話なんですけど、スーツは持ってないし、履歴書の写真もどうしようという状態でしたね。でも、周りの後押しもあり、何とか提出できて、それでご縁があって東映に入ったという感じです。

―それで受かるのがすごいですね。採用までの過程で面接などもあったと思うのですが、手応えはどうでしたか?

佐藤:わかんなかったです。よくある就職のセオリーみたいなのがわからなかったので、落ちたらまあいいやっていうあまり気負いのない感じで、嘘偽りなく本当のことを話していました。だから面接で「好きな映画に東映の作品が1本もないね」とか言われて、「すいません。ご縁がなくて……。でも、『椿三十郎』で東映のスタジオには一回行きました」みたいな会話もありました(笑)。

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学生時代のボランティアとは違う、映画制作の責任の大きさ。

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