Interview 私としごと

ひどすぎるデザインを酷評したら、社長から直々にスカウトされました。

ピクシブ株式会社
横野 巧也(UIエンジニア)

国内最大級のイラストコミュニケーションサービス「pixiv」。そのUIデザインを手がけるのが横野巧也さん。高校卒業後すぐにアニメーション制作会社へ就職するも、すぐに帰省。そのままニートとなり、気づけばインターネットの世界へ……。以後10年間、インターネットにどっぷり浸かった日々を過ごしてきた横野さんだが、ピクシブに入社してからは、リアルな世界に面白さを感じるようになってきたのだとか。一体、何が横野さんを変えたのだろうか。

プロフィール

横野 巧也

1984年福岡県生まれ。アニメーション制作会社、ニート、ウェブ制作会社を経て2007年より面白法人カヤック。2010年からは、ピクシブでUIエンジニアとしてJavaScript全般を主に担当。サービスデザインやUI/UXについて日々考える日々を送っている。

インタビュー・テキスト:村上広大 撮影:すがわらよしみ(2014/4/10)

高卒・未経験で飛び込んだ、アニメ制作の世界。そしてニートになる。

―現在、ピクシブでUIエンジニアをされているということですが、もともとイラストが好きだったりしたんですか?

横野:小さい頃から絵を描くのが好きで、小学生のときも漫画家になりたいと言っていたんです。親にダメもとで「漫画を描くようなペンが欲しい!」って言ったら、あっさり「あるよ」って言われて(笑)。昔、母親が趣味でレタリングをやっていたんですけど、専用のペンが家に残っていたんですね。それを使わせてもらって、ノートに漫画を描いたりしていました。

―今に通じるところがありそうです。高校卒業後は、すぐにアニメーション制作会社に就職されたそうですが、大学や専門学校に行こうとは思わなかったんですか?

横野 巧也

横野:そうですね。あんまり進路のことを考えていなかったというのもあるのですが、当時のアニメーション業界ってゼロから人材を育てていく感じだったんです。だから、専門学校で2年間学んでから就職するより、会社で仕事をしながら身につけるほうが早いんじゃないかと思って。僕は、動画のコマとコマの隙間を埋める絵を描く担当になったのですが、結果としてあまり仕事はしませんでしたね……。というのも会社に席がなくて、自宅作業が中心だったんです。完成したら会社に行ってチェックしてもらって修正するという感じでした。その頃、大阪で一人暮らしをしていたんですが、ダラダラしちゃうし、朝が弱い人間だったのでどんどん起きる時間が遅くなって引きこもるようになってしまい……。このままの状態が続くのはよくないと思い、旅費分だけ稼いで福岡の実家に帰りました。

—それからしばらくの間はニートだったそうですが、何をしていたんですか?

横野:とにかくパソコンばかりやっていましたね。実は中学時代からパソコン大好きで、ずっとハマっていたんです。高校生になってからは自分のホームページを作ったりとか、Windowsのデスクトップに並んでるアイコンを、自分でデザインしたアイコンに差し替えたりとか。そういうアイコンとかフリー素材とかを趣味で作っては公開していました。他にも当時、掲示板のスクリプトを公開している人がいたので、それを使って自分でBBSを立ち上げたり。プログラムに興味を持ち始めたのは、その辺りからでした。親は「アイツは何をやってるんだ」って、とても心配していたようです。

—そんなニート生活から脱し、就職を決めたきっかけは?

横野:ニート生活中は何かプログラムを組んだりサービスを作ってはブログにそのことを書いていたんです。すると、ある日それを見てくれてた人が「面白いことやってますね」と言ってIRCというチャットのある部屋に誘ってくれて。入ってみるとそのチャンネルのメンバーがネットで既に有名な人ばかりでした。当時は学生が多かったと思うんですけど、今ではLINEやはてなの第一線で働いていたり、誘ってくれた人もクックパッドでCTOをやっていたり。そこで技術の話をしていたんですが、ある日「普段何してるの?」っていう話題になったんです。その時にさすがにニートはまずいと焦って、近所にあったインターネット系の制作会社に入社することにしました。

—ネットコミュニティでのやりとりがきっかけで、リアルで就職するというのは面白いですね。

横野:とは言っても、全社員で5名くらいの小さな会社で、街のホームページ屋さんという感じでした。ブログや予約フォームのプログラムを組んだりと、今思えばそれほどレベルの高いことはしていませんでしたが、趣味が活かせたので楽しんでコードを書いてましたね。仕事が空いた時間には、IRCのチャンネルで新しい技術についての情報を共有したり。公私共にネットにどっぷり浸かっていられたので、けっこう充実していたと思います。

頼まれて作れないものはない。技術力を磨いたカヤック時代

―その後、面白法人カヤックに転職したそうですが、きっかけは何だったのでしょう?

横野:IRCで仲良くなった人の中に、カヤックの社員がいたんです。「面白そうだと思ったら受けてみたら?」と勧めてくれて、まだカヤック自体がそれほど大きくなかったこともあり、入ることができました。おそらく、今だったら無理でしょうね(笑)。カヤックでは、1年間で77個のサービスをつくる「ブッコミイレブン」という自社サービス開発チームに配属されました。とにかく面白いと思ったものをかたちにしようという理念のもと、寝る間も惜しまず開発をしていて。社員も個性が強い人が多かったので、次々と斬新なサービスをリリースしていましたね。

―それだけたくさんのサービスを開発していれば、技術力も相当上がりそうです。

横野 巧也

横野:そうですね。「こういうのを作って」と言われて、できなかったことはほとんどなかったので、実力はついたと思います。大変ではあったけれど、20代の頃にそういった経験をさせてもらえたのがよかったのかもしれません。また、以前の会社では基本的に一人で動いていたのですが、カヤックではチームを組んで制作するのがほとんど。その中で自分の得意とする能力を活かして働くスタイルを知りました。そこで現在につながるJavaScriptに関する専門性を伸ばすことができたと思っています。

―どうしてJavaScriptに興味を持ったのでしょうか?

横野:プログラミング言語って大きく分けるとサーバー側で動くデータをやりとりするためのものと、ブラウザ上でユーザーに見える形で動くものの2種類があって、当時のエンジニアには後者に興味を持っている人ってそれほど多くなかったんですね。僕は以前からUI(ユーザーインターフェース)をすごく意識していたので、そういった面でもブラウザ上で構築されるものに興味がありました。ただ、当時のカヤック自体はそれほどUIに対する意識が強いわけではなかった。だから、プログラミング以外でそういった自分の強みを発揮するという機会は多くなかったんです。

―カヤックには3年ほど在籍されていたそうですが、どうして転職しようと?

横野:カヤックは、とにかくゼロをイチにするということを重要視する会社。ただ、僕自身の働き方を考えたら、ひとつのサービスを成長させていく方が向いているんじゃないかと思い始めていて。そんな風に悩んでいた時期がしばらく続いたんですが、そのタイミングと半年ごとに行われる役員面談がかぶったんです(笑)。役員から「うちで何をやりたいの?」という話をされたときに、もっと作ったサービスにコミットしてコツコツ改善していきたいという想いに気づいてしまったのが、決定打になりましたね。

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あまりにひどすぎたpixivのサイトデザイン

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