Interview 私としごと

すべては「ゴキゲンな人生」のために

株式会社マッキャンエリクソン
村山 佳奈女(コピーライター)

一橋大学を2回留年し、卒業後はフリーライター、編集者、ラジオ番組の助手などとして活動してきた村山佳奈女さんの武器は、コミュニケーションと行動力。寄り道の多い人生を歩みながらも、現在は外資系広告会社・マッキャンエリクソンのコピーライターとして働いている。29歳で2年目と決して早いスタートではないが、「いろんなことができる人になりたい」と常に前向きな姿勢は崩さない。自身を「ダメ人間」とも話す村山さんの、その根底にあるポテンシャルに迫る。

プロフィール

村山 佳奈女

1984年、東京生まれ。一橋大学を2回留年して卒業後、フリー(ライ)ターを経たのちに編集者、現在は外資系広告会社・マッキャンエリクソンに勤務(2年目)。TBSラジオ「文化系トークラジオLife」crew。モットーは「度胸と愛嬌」。趣味は寝ること。好きな言葉は「適材適所」。好きな人は宇多田ヒカルと高城剛。

インタビュー・テキスト:宮崎智之 撮影:すがわらよしみ(2013/9/13)

「サラリーマン養成所」に入りたい

―村山さんは、現在はコピーライター、それ以前もライターや編集者と、「言葉」に関係する仕事をされています。幼少期の頃から、言葉への関心は高かったんですか?

村山:もともと父がライターだったらしく、母も俳句を詠んでいますね。親が購読していた週刊朝日を小学生の頃からよく一緒に読んでいたことを覚えています。ナンシー関さんや町田康さん、枡野浩一さんの連載などが特におもしろくて、今の好みにも強く影響していると思います。小学校の卒業文集には「ラジオDJになりたい」と書いていました。やっぱりそういう環境で育ったせいか、私自身「言葉」に対する興味が強かったのかもしれません。

—中学・高校は千葉県の渋谷教育学園幕張ですよね。かなりの進学校です。

村山 佳奈女

村山:東京から通っていたのですが、思った以上に遠かったのでいつも疲れて寝てばかりいましたね。勉強は正直、全然できませんでした。化学が苦手すぎて落第しかけたこともあったほどです(笑)。でも、文化祭とか体育祭とかの“お祭りごと”は大好きで、いつも燃えていました。今の仕事も、その前の編集の仕事も、ちょっとお祭り的な要素があると思うんですよ。みんなで〆切までハイになって一気に走り抜けるみたいな。

―進学校に通ってるからって、全員が優等生なわけではない、と(笑)。でも、そんな劣等生だったのに、名門の一橋大学を目指そうと思ったのはなぜでしょう?

村山:うちは自営業で、未だに家計が何で成り立っているのかよくわからないんですけど(笑)、親戚にもいわゆる「サラリーマン」が全然いないんですよ。なので、スーツ着たお父さんが毎日決まった時間に通勤してるような家庭に変な憧れがあったんですよね。そんな時、『大学図鑑!』という大学受験生向けの本に、一橋大学は「サラリーマン養成所」だって書いてあるのを見つけて。「私、サラリーマンになりたい!」と思い、浪人してからめちゃくちゃ勉強してなんとか入ることができました。結局、卒業まで2回も留年しましたけどね(笑)。でも、実は1回目の留年はある程度、予定していたことだったんです。4年で卒業するなんてつまんないから、1回は留年してやろうって。

就職しなくても死にはしない

―「大学は4年で卒業するもの」という常識を覆そう、と?

村山:そんなカッコいいものではないですよ(笑)。ただ単に遊びたかったのと、天の邪鬼なだけです。ついつい“逆張り”したくなっちゃう。でも2回目の留年は完全に想定外でした(笑)。しかも、そのせいで卒業がリーマンショックと重なってしまい、就職活動もうまくいかず(笑)。2回留年した理由は、単純に勉強ができなかったからで。いまだに単位が足りなくて大学を卒業できないという夢を見るくらいです……。あとは、アルバイトをたくさんやり過ぎていたことも原因かもしれません。

―それは、どんなアルバイトを?

村山 佳奈女

村山:携帯電話を売ったり、道端で通行人を数えたり、ほんとにいろいろ。さまざまな角度から世の中を見る勉強になりました。ちなみに一番長く続いたのは、『広告批評』編集部でのアルバイトです。ここでの経験が、雑誌と広告に興味を持つきっかけになりました。どちらも、コミュニケーションのお手伝いができるっていうところがすごく好きだと気づいたんです。商品でも作品でも何でもいいんですけど、モノの魅力をたくさんの人にどうやって伝えるかを考える面白さと言いますか。

―そうした経験や気づきを学生時代に得たということは、就職活動でもかなり有利になったでしょう。

村山:就職活動はだいたい途中まではうまくいくんですが、結局最終で落ちるということを繰り返しました。今思えば本気度と誠意が足りなかったことを見抜かれていたんだろうなぁと思います(笑)。さすがにちょっと焦ったりもしましたが、実家も東京にあるし、親を見る限り「就職しなくても死にはしないし!」と思う節があって、割と楽観的に捉えていましたね。

―「サラリーマン養成所」に入ったつもりが、結果的にご両親と同じような道を歩むようになった、と(笑)。

村山:そうなんですよね(笑)。血って怖いです……。

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