Interview 私としごと

デザインに恋をし続けること

株式会社編集工学研究所
富山 庄太郎(研究員 / チーフデザイナー)

ブックナビゲーションサイト『千夜千冊』などで知られる松岡正剛氏の編集工学研究所で、チーフデザイナーを務める富山庄太郎さん。大学入学前からクリエイティブ・エージェンシーWieden+Kennedy(以下、ワイデンアンドケネディ)に在籍していたという驚くべき経歴の持ち主だが、次第に自分のルーツを辿るデザインに惹かれ、現在は「日本のデザイン」を貪欲に探り続けている。そんな富山さんの歩みとはいかなるものか? たくさんの書籍に囲まれた静謐な研究所内でお話を伺った。

プロフィール

富山 庄太郎

1978年、茨城県岩井市(現板東市)生まれ。2005年に多摩美術大学造形表現学部卒業。2001年からWieden+Kennedy、2009年から湯川音楽研究所に在籍した。現在は松岡正剛率いる編集工学研究所に所属し、日本のルーツに基づくデザインに挑戦しつづけている。

http://shotarotomiyama.info/

インタビュー・テキスト:宮崎智之 撮影:高見知香(2013/7/9)

ドレッドに金歯でラップするMC風神

―経歴を拝見して気付いたのですが、大学を卒業したのが27歳の時なんですね。

富山:はい。実は大学に入るまでが、いろいろ複雑でして。僕は茨城県の出身で、公立高校に入学したのですが、そこで知ったのがスケボーカルチャーだったんです。地元にスケボーショップがあって、そこに集まって仲間達と遊んでいたんですね。そのうちにヒップホップに熱中するようになり、サイプレス・ヒルやビースティ・ボーイズを聴くようになりました。僕は基本的に単純なので、もう、すぐに熱中しちゃって(笑)。それで自分でもラップをするようになり、外見もドレッドに金歯という姿になりまして。

—金歯ですか(笑)。

富山 庄太郎

富山:はい(笑)。中学校までは剣道をしていて、結構真面目だったんです。それに僕の通っていた高校は田舎の公立だったので、そんな姿に周りもビックリしてましたね(笑)。両親も反対こそしなかったけれど、あまりにも風貌が変わったから驚いていたと思います。そんなことをしてたら、高校の先生から「髪の毛を切るか、学校をやめるか」と詰められて。それが直接的な原因ではなかったんですけど、高校もつまらなくなってきた時期だったので、1年ほどで退学しました。それからは、ラップ三昧の日々で。

―ライブとかも演られていたのですか?

富山:周りにライブハウスがなかったので公民館にスピーカーを持ち込んでライブしていましたね。そのときに組んだユニット名が『鬼神(きじん)』。僕が「風神」で、相棒が「雷神」という(笑)。今思うとすごく恥ずかしいですけど、当時は真剣だったんです。

―MCが雷神と風神(笑)。音源を聴かせてもらいたいです。

富山:絶対に嫌ですね(笑)。でも、当時好きだったMICROPHONE PAGERにTWIGYというラッパーがいて、「Check It Out」から派生した「チェケラー」を日本語で「聴きなー」ってラップしていたんですね。その時はただ、カッコいいと思っていただけですが、今、松岡さんが指摘する「デュアルスタンダード」という日本のコンセプトから考えると、外来のヒップホップを日本化していく方法は、日本人が中国から取り入れた漢字をそのまま使わずに、仮名文字を発明した歴史と共通性があるな、と思ったりしています。

ひょんなきっかけから、ワイデンアンドケネディへ

―そんな音楽漬けな日々を送っていた富山さんが、デザインに目覚めたきっかけは何だったのでしょうか?

富山:友達のミックステープのジャケットを作り始めたのがデザインとの出会いです。とはいえ、はじめは専門的なソフトなんて使わず、Windowsの「ペイント」ってアプリケーションでしたけど(笑)。それで、どんどんデザインに夢中になってDTPの専門学校に通い始めたんです。その流れで、せっかくデザインをするなら美大に入学しようと思い立って、大検を取得したんです。そんなときに、友達のバイト先で知り合った人に「デザインに興味があるんです」って話したら「今、忙しいから手伝いにきてよ」ということになり。それがきっかけで所属することになったのが、ワイデンアンドケネディだったんです。

―凄い展開ですね…….。当時の富山さんの何が買われて、働くことになったのでしょうか?

富山 庄太郎

富山:それは今でもよくわからないです。一応、描きためていたイラストのポートフォリオみたいなものを見せたんですけど、それを面白がってもらえたんでしょうか。ワイデンに一番初めに行ったとき、爆音で音楽が流れていて、なかにいる人もユニークな方だらけだったので、純粋に面白いところだと思ったんですよ。それで、大学に入る前からワイデンで働かせていただくことになったんですが、ちゃんと大学も受験しました。ただ、忙しくて全然入試の勉強する時間がなかったので、「実技テストで勝負だ!」という感じになりましたが(笑)。

―それで無事、大学も合格したと。でも、学生時代からワイデンアンドケネディで働くって、凄いキャリアですね。

富山:大学に受かったのも、ワイデンで働けたのも、たまたま運が良かっただけだと思いますけどね。それでその後は、夜間で大学に通いながら、昼間は仕事に没頭する日々。当時もずっとドレッドで働いてました(笑)。ちなみに、ワイデンは外資の会社ですが、英語ができないのは僕ともう一人だけ。とはいっても、ビジュアルを介したコミュニケーションだったので、「Yes」さえ言えれば苦労はしなくて。やり取りも「Yes、Yes!!」「More green!」みたいな(笑)。結局、7年もいたのに最後まで英語を話せるようにならなかったなぁ…….。

―それはちょっと意外です(笑)。

富山:英語は未だにダメですね。それで当時はとにかく仕事が面白すぎて、学校行くくらいだったら、ここで働いていた方がいいって思っていたんですよ。だから、僕にとって大学の思い出ってほとんどないんです(笑)。一時期、留年しかけたこともありましたが、どうにか4年で卒業できました。学生だったけど、「NIKE」のお仕事など、様々なプロジェクトに携わらせてもらったことは、今でも良い思い出ですね。

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