Interview 私としごと

「言葉」で勝負する、インタラクティブプランナー

株式会社BIRDMAN
伊藤 拓郎(Interactive Planner / Director)

広告やキャンペーンを舞台に、世の中に斬新な仕掛けを提供し続けているインタラクティブプロダクション、BIRDMAN。今回ご登場いただくのがそのBIRDMANでインタラクティブプランナー/ディレクターを務めている伊藤 拓郎さん。幼い頃から「書くこと」「作ること」が身近にあり、美大へ進学後、プランナーとして華やかな広告業界へ。順風満帆に見えるその人生だが、22歳のときに大きな転機を迎えたという。常に「言葉」を武器に、広告業界で羽ばたいてゆく、伊藤さんの本質に迫ります。

プロフィール

伊藤 拓郎

1980年、愛媛県出身。武蔵野美術大学・映像学科在籍中に株式会社コンセントでアルバイトとして勤務し、卒業後は博報堂アイ・スタジオに新卒入社。プランナーとして勤務した後、2012年に株式会社BIRDMANへ転職。現在はインタラクティブプランナー/ディレクターとして「PUSH for Ultrabook」などのキャンペーンを手掛けている。

http://tacrow.wordpress.com/

インタビュー・テキスト:池田園子 撮影:すがわらよしみ(2013/8/7)

昔から、人の反応を作ることが好きだった

―現在、伊藤さんは広告の仕事をされていますが、昔からそういうものに興味があったんですか?

伊藤:広告自体に興味を持ったのは高校時代からですが、いわゆる「人の反応」というものには、小さな頃からすごく興味がありましたね。小学生のとき放送部で校内放送を担当していたんですが、放送後に自分がボタンを1回押すだけで全校生徒が各教室へ戻っていく。人を操作しているって言ったら聞こえが悪いですが、そういう人の動きを考えることを、幼心に「あぁ、面白いなあ」って……(笑)。

—全校生徒を操作している快感のような(笑)。

伊藤:そうですね(笑)。中学生のときは新聞部でとにかく「書くこと」が好きでした。高校に上がった頃は、カップヌードルやペプシコーラなどの面白いCMや、JamiroquaiやBjorkなどのユニークなPVがたくさん出てきていた時期で、広告そのものというよりは、映像に興味を持っていましたね。当時、地元愛媛で行われたACCのCMフェスティバルへ、親の車で連れて行ってもらったのを覚えています。

―なるほど。なんとなく今に至る素養が小さい頃からあったんですね。

伊藤 拓郎

伊藤:そうかもしれませんね。大学も武蔵野美術大学の映像学科を選びました。特に「CM論」という講義は、今でも心に残っています。広告史に残る数々のCMを手掛けられた、元電通のクリエイティブディレクターの小田桐昭さんが毎週講義してくださる、とても豪華な内容でした。その講義内で初めて描いた企画コンテを褒めてもらえたりと、すごく新鮮で面白かったんです。僕は昔から形はなんにせよ、企画を考えるのが好きだったので。結局その講義に熱中するあまり、1年だけでは物足りなくて何年もモグリで受講してました(笑)。

―そこで、映像を「作る」側の楽しみにも目覚めたわけですね。

伊藤:当時は漠然と映像の仕事がしたいなぁ、と思ってました。でも、同時にその頃、自宅に暗室を作るほど写真にも熱中していたんです。一度、写真の公募に投稿した作品に、荒木経惟さんからコメントをもらって、「写真の道に進むか?」と悩んだ時期もありました。でも、写真でプロになろうとか作家になろうと決心するという訳ではなく。僕は作家として何かを伝えたいという確固たる意志があるよりも、人の反応が知りたくてやっていた感じでもあるので。

自分の「なりたい」仕事と、「向いてる」仕事

―そういった経験をお聞きすると、広告業界を目指すのもなんだか納得です。

伊藤:ただ、就職活動はあまり真面目にやってませんでした。大学3年時に、肝臓の持病が悪化して入院してたりして、休学もしているんです。それで復学してから、たまたま学内でバイト募集の広告を見かけて、WEBの制作会社に応募したんです。募集概要がデザイナーとコーダーだったのに、全然ちゃんと見ていなくて、いきなり「企画をやりたいです」と面接に行ってしまった(笑)。すると社長が、「面白いね」って採用してくれて、インターンのような形で働いていました。でも、実際に担当することになったのは、企画を考えるプランニングではなくコーディング(笑)。見よう見まねでひたすらコーディングをしていたのですが、自分の作ったものは、本当に世の中に出ているのだろうか、人を動かせているのだろうかと、不安になってしまって。

―不安に?

伊藤 拓郎

伊藤:今は違うでしょうけど、当時はやっぱりコーディングだけしていたら、自分のつくったものが人にどんな影響を与えられているかが、全くわからないんですよ。今みたいにSNSも一般的じゃないですし、自分も学生だったので世の中の反応を感じる目を持ってなかったし。たとえば、化粧品の広告を作ったとすると、百貨店やドラッグストアへ行けば、それを確認できますよね。だからもう少し、自分の作ったものがきちんと世に出ているのを肌で感じてみたいという想いはありました。そんなときに、学校でたまたま「WEB広告・WEBデザイン」という講義が行われている教室を発見して、なんとなく入ってみたんです。そしたら、なんだか周りの雰囲気がいつもの講義と違う。よくよく見てみたら、それが前職となる博報堂アイ・スタジオの開催する会社説明会だったんです。

―そこでなにか運命的な出来事があったとか?

伊藤:当時はもうバイト先が就職先になると思っていましたし、特に就活する気もなくその説明会に入ったので「完全に場違いだな」と(笑)。なので全然空気を読まずにぶしつけな質問をしたり、アンケートに辛辣なことを書いたりしたんです(笑)。そうしたら、なぜか後日「うちを受けませんか?」という誘いのメールをもらって。

―入社の決め手となったのは?

伊藤:ずっと映像の仕事がしたいと思っていたんですけど、その頃、地元の先輩から「君は映像を作る方よりも企む(たくらむ)方、コピーライターみたいな仕事が向いているんじゃない?」と言われたことがあったんです。思い返してみれば、小学校6年間毎日欠かさず日記を書いていたり、中学でも新聞部だったり、今だって10年くらいブログを続けている。確かに自分は文章を書くのが好きだし、これを仕事にしてみると楽しいかもしれないなと。「自分がなりたいものよりも、人から『向いてる』と言われることの方が合っている」という話を聞いたこともあり、先輩の言葉を心から受け止められました。それでこれはなにかの縁だろうと面接へ行って、4年生の冬に内定をもらいました。プロダクションとしては大きい会社なので、ここに入ればWEB制作だけでなく映像やコピーライティングの仕事ができるかも、という期待を持って。

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