Interview 私としごと

「アーツ千代田 3331」設立メンバーが語る、アートを生業にするという覚悟

3331 Arts Chiyoda
宍戸遊美(ジェネラルマネージャー)

アートを生業にするのは難しい。だが、それを実現している人がいるのも確かだ。「3331 Arts Chiyoda」のジェネラルマネージャー 宍戸遊美さんもその一人。宍戸さんが立ち上げから参加する「3331 Arts Chiyoda」は、2010年に旧中学校校舎を改修して誕生した文化芸術施設。地域の文化的活動拠点としてだけでなく、アートの新しい価値を発信するメディアとしての役割も果たしている。どうすれば、宍戸さんのようにアートを生業にできるのだろうか。「『やりたいことだけやる』を重視している」と語る宍戸さんに、現在に至るまでの葛藤や道のりを訊いた。

プロフィール

宍戸遊美

1978年東京都荒川区生まれ。東京造形大学美術学部絵画専攻卒業。卒業後、保育所芸術専門員の仕事に従事しながら、沖縄県沖縄市でのアートプロジェクトの立ち上げと展覧会制作・発表を行う。2004年に芸術活動コマンドNに加入し、東京都千代田区でのアートスペース運営と、富山県氷見市、秋田県大館市でのアートプロジェクトの事務局を担当。2008年より「3331 Arts Chiyoda」の立ち上げに参加し、現在は地域担当マネージャーを担当。2013年に個展『レインボーレーン』を開催。来年開催予定の『東京ビエンナーレ2020』では事務局長を務める。

取材:冨手公嘉 文:益田脩也 撮影:兵頭理奈 編集:坂本怜央(CINRA)(2019/9/30)

音楽ではなく、美術の道へ。絵に魅了された幼い頃の原体験

ー10代の頃から、将来はアートに携わりたいと考えていましたか?

宍戸:絵を描くのはもともと好きでしたが、中学ではずっと吹奏楽をやっていたので、音楽の道に進むことも視野に入れていました。でもあるとき、絵を描くほうが情熱を傾けられる気がしたんです。美術専門の高校に行こうとも思いましたが、基礎となるデッサンができないと入学できないので断念。結局、一般の高校に進学し、アトリエに通いながら本格的に絵を学び始めました。その頃には、漠然とこの道で食べていきたいと考えていましたね。

ー絵画で食べていくのは容易ではないですが、躊躇はなかったのでしょうか?

宍戸:当時は、絵で食べていく難しさもわからなかったので、躊躇はなかったです(笑)。シンプルに「一生かけてやりたいことをやる」と決めていました。両親もそういう考えが強かったので、「あなたがやるならば」と応援してくれましたね。

ーアートの道を志すきっかけとして、影響を受けたものはありましたか?

宍戸:小さい頃から両親に連れられて、美術館によく行っていたのは大きいです。そこで絵をたくさん見ましたし、材質の面白さや魅力を感じるようになりました。たとえば油絵は、ツルッとした表面なのに、奥行きを感じる作品をすごく不思議に感じたり、デコボコしている絵の具の質感にゾクゾクしたり。そういった体験や感覚が記憶に残っていて、もっとアートの世界に入ってみたくなったんだと思います。

価値観が広がった「遺跡発掘」のバイト。そこで知った人生の選択肢

ーその後、東京造形大学に進学されたそうですね。どのような大学時代を過ごされたのでしょうか。

宍戸:芸術の勉強をしながら、アルバイトもしていましたね。特に印象に残っているのは、「遺跡発掘」のバイト。運転免許の取得に必要な費用を稼ぐため、大学1年生の春休みの1か月半だけ働きました。そこのバイト仲間は、浮世離れした人ばかりでそれぞれの人生観や生き様にとても刺激を受けました。

ー珍しいバイト体験ですね。どんな人が働いていたのでしょうか?

宍戸:普段はお化け屋敷のスタッフをしている人もいれば、時代劇で斬られ役をしている人もいました。30代、40代の働き盛りの大人が、「そろそろ社会復帰しないといけない」ってつぶやきながら遺跡を発掘してるんですよ(笑)。でも、みんなに共通していたのは、「遺跡発掘」のバイトがあくまで「自分の進むべき道の過程である」と思っていたこと。生き方の選択肢が多様にあることを彼らから学びました。

また、私が知らないアーティスト情報だったり、海外で観た展覧会の話だったり、自身が大切にしているアート観をたくさん聞かせてくれました。それがすごく面白くて、彼らのインタビューをもとに作品も制作しました。彼らから非常に影響を受けましたし、アートに対する価値観も広がりましたね。

自分がやりたいアートとは? 大学卒業後の生活と葛藤

ー大学卒業後は、どこかに就職されたのでしょうか?

宍戸:いいえ、学生時代からのアルバイトを掛け持ちしていました。時給の良いホテルの配膳バイトのほか、マンションの床補修のバイトもやっていて。後者は一応、絵に関する専門技術が求められる環境でした。「色を合わせる技術のある人が良い」とか、平滑な床面に仕上げるために「バランス感覚のある人に入ってほしい」とか。でも私は、続けるうちにだんだん気持ちが滅入ってきたんですよ。アートとして何か表現できるわけではないので、「お金は稼げるけどこれが自分のやりたかった仕事なのか?」と。

ー葛藤があったわけですね。

宍戸:そうです。ちょうど同じ時期に、高校時代の友人からの紹介で保育園の芸術専門員という仕事もはじめました。その保育園は独自の試みとして、園の子どもが自由に遊びに来られる「アトリエスペース」という部屋を開放していたんです。そこで、アトリエに常時いる「アーティストの役目」をしてほしいと頼まれて。

ー「アーティストの役目」とは、どんなことをするのですか?

宍戸:特に決まりは、ありませんでしたね(笑)。アトリエスペースの目的は、アーティストが身近にいる環境で生活することで、子どもたちに感受性を養ってもらうこと。その方針に沿っていれば、何をしても大丈夫でした。ですので、最初は子どもたちに何かを「教えている」実感がなくて悩みましたね。でも先生方に相談したら、「教えるのではなく、あなたがやっていることを見て、子どもたちがやりたくなったらやればいい」と言われたんです。

私自身、もともとフィニッシュワークに重きを置くよりも、どう変化していくかのプロセスに興味があるタイプだったので、その言葉に納得できました。

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「やりたいことだけ、やればいい」。ひとつの提言で大きく舵を切ったアート人生

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