CINRA

ラジオを動かす、プロレス的ものづくり

ニコニコ生放送やUstreamといった時代と共に増す放送メディアの中で、いまも変わらずに存在しているメディアのひとつ、「ラジオ」。言葉と音だけという限られた条件のなかで、ラジオの作り手はいったい何を考えているのだろうか。『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』をはじめとする話題の番組を送り出し、「橋P」の愛称で知られるTBSラジオの名物プロデューサー・橋本吉史さんに、ラジオの仕事について語ってもらった。日頃ラジオに親しんでいる人はもちろん、最近ラジオ離れしてしまった人、これまでラジオに触れてこなかった若い世代にもご覧いただきたい。ラジオってもっと身近な存在かもしれないから。
  • インタビュー・テキスト:タナカヒロシ
  • 撮影:すがわらよしみ

Profile

橋本 吉史

1979年生まれ。富山県出身。一橋大学商学部経営学科卒業。2004年、新卒で株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズに入社し、制作センターに配属。ADおよびディレクターとして『ストリーム』『伊集院光 日曜日の秘密基地』『荒川強啓 デイ・キャッチ!』『小島慶子キラ☆キラ』を担当。2007年より『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』(通称:タマフル)を立ち上げ、事業部に異動する2009年12月までプロデューサーとして活躍。現在は再び制作センターに戻り、『ザ・トップ5』『鈴木おさむ 考えるラジオ』『爆笑問題の日曜サンデー』プロデューサー、『たまむすび』ディレクターを担当。学生時代は一橋大学世界プロレスリング同盟で「中条ピロシキ」の名で活躍。自身も出演する入江悠監督作DVD「タマフルTHE MOVIE〜暗黒街の黒い霧〜」も好評発売中。

学生プロレスで培った演出のスキル

—橋本さんの大学時代は、どんな感じだったんですか?

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橋本:もうほとんど学生プロレスに明け暮れてましたね(笑)。大学生になるとサークルとか選ぶじゃないですか。僕も普通にテニスサークルとか憧れてたんですけど、どうにもチャラいあの感じが肌に合わなくて(笑)。それと、もともとサブカル好きだったので、ちょっと面白いことをやれる集団も探していたんですね。でも、「こんなことでクリエイティブ気取りなんだ」みたいなサークルが多くて、それはちょっとないなぁ……って。

—いわゆる王道の大学サークルを選ばなかったと。

橋本:そう。その結果、いちばん話の合う人たちがプロレス研究会の人たちだったという(笑)。元々プロレス好きではあったけど、別にマニアックなプロレスファンではなかったんですよ。だけど、ほんと頭のおかしい人たちばかりが集まってて、近くにいたらそのままハマってしまって。

―(笑)。学生プロレスって、けっこうガチな感じですか?

橋本:いやいや、ほとんどコミックマッチみたいな感じですよ。どちらかというとお笑い集団に近い。人前で裸になって、かっこよくもなんともないですよね。一個もモテませんでしたから。ただ当時、学生プロレスで培った、何かを作りあげる“ものづくりのスタンス”みたいなものは、いまでも変わってないと思います。こういう仕掛けを作ったらいいんじゃないかとか、こういう演出をしたら人を惹き付けるとか、こういうふうにドラマを見せたら盛り上がるんじゃないかとか。そういうスキルは、学生プロレスでの経験が土台になってますね。

―その後、TBSラジオに入社されるわけですね。

橋本:テレビの仕事に関してはなんとなくイメージがあったんですけど、ラジオは全然イメージが湧かなくて。ラジオってオンエアを聞く限りはしゃべり手しか出てこないじゃないですか。スタッフいじりとか多いので、作家がいたり、プロデューサーやディレクターがいるのはなんとなくわかってるんですけど、どういう動きしてるのかはまったくイメージがなかったんです。スタッフ構成に関しても、1つのオンエアに対して、AD、ディレクター、プロデューサー、構成作家が、だいたい1人ずついて、それにしゃべり手が加わって番組がつくられているんだなと。だから実際に入ってから、ラジオの仕組みというものを体で覚えていった感じですね。

―はじめはやっぱりADからだったんですか?

橋本:そうですね。ラジオのADはけっこう重要な役割を担うんですよ。例えば、曲を出すときやBGMを出すときのCDをセットしたりとか、音の演出に関して言うとADに任される部分も大きいんです。人数も少ないのでアイディアも通りやすいですし、自分の行動が放送に直接影響するので、やりがいはありましたね。1人1人の意見がどうしても尊重されていくので。そういう意味では最初から自分のやりたいと思ったことがけっこう通るなぁっていう印象がありましたね。

名番組に勝利して覚えた3年目のカタルシス

―それで、最初に配属された番組は?

橋本:『伊集院光 日曜日の秘密基地』と『ストリーム』という2つの番組に配属されたんですけど、そこでの経験はいまにつながってますね。『ストリーム』は裏番組だった『吉田照美のやる気MANMAN!』にずっと聴取率で勝てなかったんです。パーソナリティだった小西克哉さんと松本ともこさんも有名な人たちではありましたけど、知名度では裏番組には絶対に勝てない。それに、サブカルなものもドンと打ち出していた番組だったので、とにかく中身で勝負しようってやってきて。そのときは仕事自体は楽しかったんですけど、もう毎週辞めたいと思うくらいキツかったですね。とにかくプレッシャーとストレスが凄くて。でも、それがオンエアされて、ラジオなんでリスナーから反響がすぐ来ますから、反応がよかったことがわかると「じゃあ来週もやるか」って、辞めたい気持ちも忘れて飛んでいく。その繰り返しでしたね。

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それで入社して3年目の2006年12月に、初めて聴取率で勝つことができたんです。その時は、本当に嬉しかったなぁ。やっぱりがんばっておもしろいものを出し続ければ、ちゃんと結果がついてくるんだなって。そういうカタルシスみたいなものはそこで覚えましたね。逆に『秘密基地』は圧倒的な人気番組だったので、どう横綱相撲するというか。「やっぱりこの番組は違う」っていうのを出すために、毎回必死こいてやってましたね。日曜日の午後で、聞いてる側はゆったりした気分だったかもしれないですけど、現場はもう戦場でしたよ(笑)。

—戦場ですか(笑)。トータルで、ADはどのくらいやられたんですか?

橋本:1年ちょいですね。ディレクターと兼任していた時期も含めると2年半くらいかな。さっきの2つの番組でそのままディレクターに上がったんですけど、最初にディレクターとしてついたのが、『ストリーム』の吉田豪さんのコーナーだったんです。学生時代から憧れていた人だったので、不思議な感じでしたね。「俺、豪さんと一緒に仕事しているよ」って(笑)。いまだに深くお付き合いさせてもらってますけど、そこからサブカル系の人たちとのパイプができるようになって、その後の自分の方向性が決まったというか。『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』も、そのサブカル人脈から宇多丸さんと出会って、この人で番組をやりたいと思って、入社して4年目で初めて自分がプロデューサーとして立ち上げた番組だったんです。いまでも番組を作るときは、その時の人脈をベースに考えていくことが多いので、こんな関係がつくれたことは本当に自分の財産だと思っています。

—では普段、番組を作るうえで心掛けていることはあったりしますか?

橋本:う〜ん……。日常にいろんなきっかけが転がっているので、「これ、みんなどう思うんだろう?」とか、そういう入口を自分のなかでたくさん持っておくようにしてますね。例えば、みんな職場でオナラはしたくなるはずだけど、普段そんなこと話し合わないじゃないですか。でも、絶対みんな戦略を考えてるはずだし、そういうことを共有できないかなと思う気持ちがあって。それを実際にリスナーに聞いてみたら、「僕はこっそりここでしてみた」とか、「こうやって我慢してる」とか、「ソファに吸わせて消すこともある」とか、いろんなテクニックが出てきて、すごくおもしろかったんですよ(笑)。だから、ラジオは1対1のメディアだとよく言われるんですけど、双方向とまではいかないまでも、何かを共有するっていうことは意識しますね。人には言えないけど、ここで言っちゃうみたいな。

—確かに、ラジオの距離感だからこそ言えることってありますよね。

橋本:そうですね。なんでも本音を言えばいいわけじゃないけど、ラジオって腹を割らないと伝わらないメディアだと思うんです。ウソをついたり、きれいごと言ってもバレるので、思ったことは包み隠さず言わなきゃいけないというか。なんかウソついてる感じがするなと思ったらやめる。だから、もう作ってるというよりは、己を曝け出してるだけですっていう。それは、かっこ悪いところも含めて。

共感する事で生まれる、一歩踏み込んだリスナーとの関係

—それでは、橋本さんが思うラジオの魅力とはどういったところでしょうか?

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橋本:結局のところラジオは「共感メディア」だと思うんです。作り手としては、これなら自分が聞きたいと思うものをやってるつもりなんですけど、意見を押し付けるためのものではなくて。もちろん、すごく強烈なしゃべり手がいれば、その人を信頼してみんながついていく場合もありますけど、やっぱり人間は共感することで安心したり、つながっていく部分があると思うんです。例えば、みんながぼんやり思っていたことを、「こういうことじゃない?」ってバシッと言ってあげたりすると、「わかる、わかる」っていう。なかなか言葉にできなかったことを言葉にしてあげる。そういうものをいっぱい作っていくことで、ちょっとラジオに寄り添ってみたくなるというか。そういう一歩踏み込んだ関係になれるのが魅力なのかなと。

—ラジオは映像がない分、想像力が膨らむみたいなこともいわれますよね。

橋本:それはよく言われ過ぎてて、あえて言わなくてもいいかなと思ってるんですけど、もちろんありますよね。テレビだと画そのもので受け取るしかないけど、ラジオで「こういう感じの裸のハゲのおじさんが〜」とか聞くと、意識しなくても自分がいちばんおもしろいと思う情景が勝手に浮かんでいると思うんですよね。それである意味、現実以上のものを想像して、より深く笑っちゃったりする。そういう想像力に頼るメディアでもありますよね。それは僕らがサボってるわけじゃないんですけど、リスナーに委ねる部分だと思っていて。だから僕らが思っているより受け手は優秀というか、信じてる部分もあるんですよね。

—お互いの信頼関係があると。では、世間一般的には斜陽産業だと思われているラジオ業界にとって、今後必要なことは何だと思いますか?

橋本:とにかく業界が若返ることですね。もちろん、いま活躍されてるベテランの方々のがんばりで支えられてるメディアでもあるんですけど、若い人たちが同世代に向けて発信していく番組が増えれば、もっと若いリスナーもついてくると思うんです。例え話でいうと、もっと『ドラゴンボール』の話をするラジオ番組があってもいいと思うんですよ。いま、『ガンダム』とかを「わかるよね」みたいな世代までは作り手がいるんですけど、それはもう40代くらいですからね。20代30代の若いしゃべり手と若い作り手がセットになって、同世代に向けた放送をもっとするべきだと思います。

—なるほど。最後に、橋本さん自身の今後の目標などを教えていただけますか?

橋本:う〜ん、日々生きていくのに精一杯なので、「いい感じにやりたい」っていうぼんやりビジョンしか……。職人的に番組を作りたい気持ちもありますけど、世代世代で自分の年代に合った仕事があると思うので、もうちょっと年取ったらラジオ全体のことを考えていく仕事になるかもしれないですし。それはもしかしたらラジオじゃないかもしれない。ただ「ラジオ的な何か」をやっている感じはしますね。学生のときは「プロレス的な何か」をやりたいと思って辿り着いたのがラジオであって、自分のなかではそれは全く矛盾してないんです。だから自分にとってのラジオ的なことであったり、プロレス的なことであったりするものを、今後も追い求めていきたいですね。

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架空のプロレス団体の内部の話が描かれた漫画です。僕はこの本を説明するときに、「プロレスのことが手にとるようにわかるけど、手に取りづらい本」といつも言ってて(笑)。絵づら的にこってりしているので、プロレスを知らない人は手に取りづらいかもしれないんですけど、プロレスってこういう意図で作られてるんだとか、勝敗とは別のところでできてるんだとか、プロレスの魅力が本当によくわかるんですよね。プロレス上級者は「そうそうそう」って思うし、知らない人からすると「こういうことなんだ!」っていう。プロレスって楽しみ方がわからない人も多いと思うんですけど、そういう人たちにオススメの一冊です。
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